ゼミのレポート
- ●「インターネットが変える世界」を読んで●
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●第一章要約
「ハッカー」という言葉は、「ネットワークに侵入して犯罪をおかす危険人物」ということではなく、「車でいえば、自分でエンジンを分解して整備できるほど詳しい人間」のことを指す。コンピュータ犯罪者のことは、「クラッカー」や「パイレーツ」という。それほどハッカー会議に出席している人たちは、ハッカーという言葉に愛着と誇りを持っている。
大型コンピュータは、まさに機能の専門化と価値の制度化、権力の集中をもたらす道具でしかなかった。その理由は、システムエンジニアと呼ばれる専門家集団のみが操作する権限を持っている・処理の中心は人間ではなくコンピュータである・コンピュータの能力を享受できる人間は、政府や大企業の権力者だけに限られていた、ということにある。ハッカーたちは、コンピュータの能力を大衆に解放し、それを使って知識と情報を共有することを目標にしていた。
そしてハッカーの1人、フェルゼンシュタインという人物が、仲間のハッカーたちとコンピュータシステムを作り上げ、そこにタイムシェア社から寄付されたテレターミナルをつないで端末とし、市民が情報を共有できる゛電子掲示板゛をつくりあげ、73年8月、市民の手に解放した。これを゛コミュニティメモリー・プロジェクト゛という。
コンピュータが安く、小さくてもそれでは不十分である。すべての情報がオープンであり、メーカーだけでなく、ユーザー自身が中身を切り刻めて(ハックして)こそ、コンピュータがコンヴィヴィアルな道具になるのである。パーソナルコンピュータはその性能によって評価されるべきものではなく、ハッカーたちが息吹を与え、育ててきたコンヴィヴィアリティ重視の゛文化゛が評価されるべきなのである。
●第二章要約
コンピュータネットワークは電話線の使い方が違う。インターネットも大手の商用パソコンネットワークも、幹線部分は専用線を使ったパケット交換と呼ばれるものを採用している。そしてこれは、通信量の殺到にも比較的強い。回線の容量がこえても通信ができなくなるわけではない。
阪神・淡路大震災が発生した95年1月17日に多くの人が安否を確認するために電話に殺到した。そのために、緊急の通報などにも使わなければならない公衆電話網では外部から被災地への発信制限が行われたため、非常に電話はつながりにくくなってしまった。
しかし、コンピュータネットワークでは、大震災の当日も、電話線が物理的に切れてしまったようなところ以外では通常通り通信することができる。コンピュータネットワークが使っている専用線というのは、常時特定の場所をつないでいるもので、119番などと競合するわけではないので、電話会社は通信を制限する必要がない。そのため、電話線とコンピュータが無事だった人は、専用線を使ってコンピュータネットワークの幹線に乗り入れ、他地域とのコミュニケーションをとることが出来たのである。
電話・電報・ファクスは1対1、ラジオ・テレビは1対多であるが、コンピュータネットワークは多対多でコミュニケーションをとることができる。これは、1人1人が読者であると同時に、必要に応じて発信者にもなることができるのである。1月17日の時も、大震災に関する情報交換が行われた。パソコンネットワークとテレビ報道の最大の相違は、双方向であったこと、内容が具体的であったことだ。具体的な質問は、具体的な答えの内容を知ることが出来る。かつ現場に近く、その目で様子を確認できる人達がコミュニケーションに加わっていればなおさらである。対してテレビは一方的となるため、知りたいと思う内容を必ずしも知ることはできないのである。
●第三章要約
インターネットの起源は、戦略計画という国家的なプロジェクトであった。当初の意図からはずれていたかもしれないが、戦略計画の成果は大いに役立ったし、不可欠な貢献をしたことも確かだ。しかし、それだけでは成功の条件として十分ではなかった。
インターネットの歴史は、二つの異質な流れが合体してきた歴史ということができる。一つはARPAネットに象徴されるエリート科学研究者の流れで、最先端の戦略研究と、それに携わるエリート科学者が関わってきた科学研究のインターネットである。現在のインターネットの核となる技術の多くはこの流れの中で誕生し、実用化されてきた。インターネットの原型となった分散的なパケット通信技術は、冷戦下に、部分的核戦争が起こっても生き残った部分だけは機能し続けることができるようなネットワークを構築することを目標として、戦略研究軍資金によって開発された。しかし、いったん開発されたネットワークは、必ずしも軍事研究に限定した使われ方をしたのではなかった。
もう一つは草の根の流れだ。これを象徴するのがネットニュースである。これは分散型の電子会議のシステムで、今日でもインターネットの上を流れる情報の中心となるものの一つである。これはARPAネットで始まったものではない。1970年代の終わり頃に数人の大学院生たちが考えて、大学院生でも比較的自由に使うことができたUNIXのコンピュータを、間欠的に電話回線を使ってつなぐことによって、自力で始めたことである。この電話線による相互接続のネットワークはUSENETと呼ばれた。
インターネットの歴史に特徴的なのは、もとは対立しあいそうなこの二つの流れが、比較的早い段階から相互に交流を始め、やがてインターネットがより高性能で、より開かれたものになっていくにしたがって、合流して今日に至っているということである。この両面を持っていることがインターネットの特徴なのである。
●第四章要約
インターネットブームは、日本人にとって深刻な問題を認識させることにもなった。言語の問題である。
WWWの世界を見ると膨大な英語の情報がある。国境を越えて会話をするには英語が必要だ。だが、日本人同士が電子メールの交換をしたり、WWWで情報発信したりする場合に、英語は必要がない。むしろ英語で送ってはやっかいだ。インターネットだから英語を使わなくてはならない、というのは思いこみにすぎない。アメリカで生まれ、アメリカが先行し、アメリカ人のユーザーの多いインターネットというコミュニケーションシステムに、英語の情報が多いのは当然のことで、インターネットが日本に普及すればするほど、日本語の情報も多くなる。同様に、世界各国の言語による情報も増えるはずである。
各国の言語が当然のようにインターネットで使用可能になれば、英語以外の言語が世界語としての地位を占める可能性がある。もし、インターネットが他の言語を排除して英語のみの使用を強要するような言語帝国主義的なメディアであれば、決して世界中に普及することはなかっただろう。
インターネットが放送局から新聞社、雑誌社など既存のマスメディアを巻き込んで一大投資ブームを起こしたのが95年のことであった。既存のマスメディアにとっては、インターネット的な情報共有の概念が邪魔になるが、インターネットは情報の独占、権力の集中に反対する人々によって育てられた。両者の間で共有することを拒否することで成立してきた企業が、どのようなビジネス構造をインターネット上に展開するかが問題になっている。
インターネットも所詮は人間が作り出した一つの道具にすぎない。それを操作的な道具とするか共愉的な道具とするかは、それを使いこなすわれわれの課題である。
わけのわからない文と化しているよ・・・
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