ゼミのレポート
- ●インターネット●
-
●第1章
インターネットは大規模なネットワークだ。設計の立場からは、世界中のコンピュータをつなぐところまで成長していくことを前提としている。少なくともそこまでの規模に耐えられる技術や仕組みが必要だが、そのためにはインターネットが「分散型」の仕組みであることが必要だ。接続したいコンピュータを世界中で次々と仲間に入れていくためには、世界中に分散した小さなネットワークを単位として考え、これらの集合として全体のインターネットを考える必要がある。
インターネットが提供しているものは、デジタル情報を世界中のあらゆるコンピュータから、あらゆるコンピュータに伝える基盤だ。しかし、世界中に存在するコンピュータは膨大な数にのぼり、しかもその数は加速度的に増えている。今後どんなにコンピュータが増えても、どんなに規模が大きくても、必ずそのコンピュータと通信ができる仕組みをつくらなければいけない。
コンピュータの機能が飛躍的に発達した今、知性のない端末に代わってネットワークの両端にあるコンピュータは、データ通信に必要なほとんどの処理が行うことが可能になった。「中間」ではなく、両側がほとんどの処理をするということは、「中間」はこれまでにくらべてずっと簡単でよいということになる。回線は設置しなければいけないが、それ以外の処理のためのリソースはほとんどいらない。このため、インターネット網のコストはこれまでのデータ通信よりもはるかにコストがかからなくてもすむ。
湾岸戦争が起こったときにアメリカ軍で最後まで残ったのは、インターネット・プロトコルを使ったコミュニケーションだった。
インターネットは、自由経済社会のなかで自由競争をしながら、一方で世界普遍的なサービスを提供するような仕組みをつくれるかというのは、自由経済社会における一つの重要な課題だったが、インターネットは、その方面でも新しい世界を切り開いたと言える。
●第2章
インターネットの空間は、インターネットを使って来た人々の要求に基づいてつくられてきた。そもそも、1969年にアメリカのARPAネットの実験が最初で、それが1980年に始まったCSネットの計画を経て、今のインターネットに至っている。
ARPAネットというのは、国防総省の一機関であるということから、インターネットは軍事ネットワークから発展したとよく言われているが、実際は国防総省の一機関ではあったが、高等研究の一環としてコンピュータ・サイエンスを研究するためのネットワークだったのだ。ARPAネットから80年代の初頭、CSネットに至る10年余りの間に、今のインターネットの背景になるようないろいろな発展があった。それは一貫して、コンピュータ・サイエンティストのためのネットワークとして発展してきたのだ。
多くのネットワークがつながるようになると、コンピュータはいつもつながっているということを期待できるようになり、人と人との情報交換を、コンピュータ上に蓄積されている情報を交換するという形で実現することができる。これをファイル転送という、インターネット上の応用機能だ。ファイル転送により、さまざまな情報や知識を自分のもとにもってこられる仕組みがどんどん発展してきた。しかし、ここで大きな問題が起こってきた。それは、どこのコンピュータにどんなファイルがおかれているのかを、どうやって知ったらよいか、ということだった。世界中の知識や情報はそれぞれは完全に自立しながら、関連の情報に対する指標を持つことになった。これは情報や知識に対する視点を一人一人が自由に持つことにつながっていく。この仕組みにより、世界中の情報がお互いに複雑に絡まって編まれるので、WWWと呼ばれるようになる。
一番広義のインターネットは、インターネットの今後の発展にとっては重要な意味を持っている。ファックスのネットワークとコンピュータのネットワークとが相互に乗り入れて、さらにインターネットの空間が広がると言える。
●第3章
今までの通信技術では、情報の伝達の仕方に大きく分けて2つの考え方があった。それは、「ユニキャスト」と「マルチキャスト」だ。つまり、一対一なのか、一対多、あるいは多対多なのかということだ。これからのデジタル・コミュニケーションを考える上で大変重要な2つの考え方だ。
人間のコミュニケーションは一対一か、多対多が基本だ。これまでの通信技術は、多くの場合一対一のコミュニケーションモデルを基本に作られている。インターネットの世界でも、一対一モデルを前提とした技術が基盤になっているが、どこか一つのコンピュータに蓄えられている情報を、みんなが取っていくということは、事実上一対多のコミュニケーションだ。
インターネットを世界中とつながっているメディアとして見たとき、言語の問題がよく議論される。情報開示は英語でなくてはならないのか、という大きな誤解をしている人は多くいると思う。インターネットの世界は英語でなくてはならないのか、これは大きな問題だ。それ以外にも、2つの大きな問題がある。一つは多様な言語による表現をどう具体的に実現するかだ。これは簡単なことではない。文化的、社会的な要求がこの方面での技術を大きく変え、技術が変わったら文化や社会もまた変わる、という相互作用がきわめて緊密である。
もう一つの問題は、インターネットのなかで、言語がどう変わるかということだ。いままで機械としてのコンピュータ同士の「コミュニケーション」では、「言語」といえるほどではないにしても、途中では標準語、両端は方言というやり方が考えられてきた。いろいろなコンピュータをつなぐためには、それが合理的なのだ。
いま、翻訳ソフトウェアがかなり登場してきている。そのため、インターネットではコミュニケーションに使える言語の範囲がかなり大きく広がる。こうしてインターネットは多様な文化を尊重し、言語を尊重しつつ国際的なコミュニケーションを確立していくために大いに貢献している。
●第4章
インターネットはコンピュータ・ネットワークが相互接続されてできてくるものだから、歴史としては当然、コンピュータ・ネットワークが登場してから後の話ということになる。
インターネットのスタートとして、1969年、アメリカにARPAネットができ、それらがだんだんと結びついていったという流れがある。つまり、アメリカの場合は、長距離のネットワーク、ARPAネットが先にでき、その後短距離のネットワークができ、それらが結びつきながら、集合としてのネットワーク、すなわちインターネットの仕組みが発展してきたのだ。
日本では、1970年代の後半から、ローカルエリア・ネットワークの研究が色々進んでいて、80年代の初めには、ローカルエリア・ネットワークのための周辺機器が買えるようになり、ローカルエリア・ネットワークが現実味を持ってきた。そして大学の研究室などで小規模なローカルエリア・ネットワークが作られるようになった。日本では、アメリカのARPAネットのような長距離ネットワークが無い状況からスタートしたため、遠く隔たったローカルエリア・ネットワーク同士をつなぐといった概念はまるでなかった。
85年4月の電電公社民営化以後、電話機や接続機器について自由度がある程度出てきて、電話回線に接続して使える、データ通信用の一般向けモデムが発売されるようになった。それを使って、離れたコンピュータの相互接続をするという実験が始まった。これがJUNETだ。UNIXというオペレーティングシステムを使っているコンピュータ同士を、電話回線でつないだのだ。
パソコン通信の充実したコミュニティとサービスは、インターネット、特に日本のインターネットに欠落していた点だった。ネットワークとネットワークがつながっていくことに対して、色々制約があるのだが、そのような制約がとれたときに、そこで何ができるかということを早くから見極めていく必要がある。
●第5章
インターネットはそもそもは、蓄積されたデジタル・データを交換・共有するための基盤だが、人間が持っている財産としてのデジタル・データにどんなものがあるかと考えると、それは文字であったり、映像であったり、音であったりする。これらは、デジタル・テクノロジーが進歩していくにつれて、保存や蓄積という過程を経ず、じかにインターネットで交換・共有される可能性が増えてきている。こうした表現は従来のメディアでは普通の個人には許されなかった。しかし、それは明らかに個人の表現として重要で、それが自由に共有出来るというのは、人類にとって大切なことになる。
普及するための一番初歩的な問題としては、インターネットの基盤、そしてコンピュータの普及が挙げられる。つまり、インターネットにつなぐ回線料金や、コンピュータが、非常に高価だったり、あるいはインターネット用のソフトウェアが導入しにくかったり、コンピュータが身近に置きにくかったりしてはいけないということだ。回線の問題はなかなか難しいが、機器の普及については今は非常に良い傾向が見えている。パーソナル・コンピュータなどの情報機器が発達し、より充実した利用を可能にするためにインターネットが発展してきた。その一方で、これまでコンピュータにあまり縁が無かったような人が、インターネットを使うためにコンピュータを手に入れようとしはじめている。その二つの動きが相乗効果を及ぼして、それぞれに大変急速に普及しつつある。
インターネットの大きな特徴の一つは、国境が無いということだ。つまり、インターネットの上で生きていくということは、新しい国際社会を作っていくことにほかならない。インターネットはグローバルな環境であるだけに、逆にインターネットの意味や課題を考えるときには、「国」の問題に立ち戻って考えさせられる事が非常にしばしばある。したがってその上で行われているさまざまな活動では、当然、国という環境は意識されなくなるのである。
わけのわからない文と化しているよ・・・
ホームページに戻るにはここをクリックしてください.