浜松祭り・凧あげについて

浜松祭り


 浜松っ子魂を象徴する一大イベントが浜松祭り!!開催日は毎年5月3〜5日。430年ほど前、引間城主の長男誕生を祝い凧を揚げたのが起源。祭り期間中、昼間は中田島砂丘にて勇猛果敢な大凧あげが繰り広げられる。浜松市内の役158町が各町内を表す字や絵を描いた2〜21の大凧を揚げ、町内対抗の糸切り合戦を展開。いくつもの凧が大空に乱舞する風景は雄大だ。
 夜になると一転して市街地がきらびやかな提灯の明かりに包まれる。豪華な彫刻が施された各町の御殿屋台が町を練り歩くと、祭りは最高潮に。そろいのハッピで決めた人が、最も輝く3日間。


 参考  「るるぶ 浜松、浜名湖」
 写真  「浜松80年史」



凧あげ
 浜松祭りのメインは凧あげである。各町内が競って大凧をあげ糸を切りあう凧合戦は、浜松の年中行事として定着しているが、いつ頃から凧あげが行われるようになったかは明確ではない。観光パンフレットなどには永禄年間に引間城主飯尾豊前守の長子が誕生したのを祝って佐橋甚五郎が城内あげたのがはじまりであると書かれているのが、これは大正年代に書かれたと考えられる「浜松城記」を根拠にしているもので、とても信じられる内容ではない。凧関係の資料としては江戸後期における通達、あるいは争いにかかわる文書があり、それによってこの時代にはたしかに凧あげが行われていたこたことが知られる。通達というのは浜松藩主井上河内守正甫の時代のもので、凧の大きさを四尺(1.2m)四方に制限して、図柄も華美にならないようにと城下の諸町に指示したもので、この頃にはかなり派手になってきていたことがわかる。ところがなかなか改められないので、重ねて達しが出されており、さらに触れは周辺の村々にも出されていることが、有玉下村(浜松市有玉南町)の庄屋高林家の記録にみえている。同家蔵文書「諸用記」には、領内の若者達が大勢で初の家を訪れ、施主が非常に迷惑している。とみえており、さらに若者達が暴れ回り口論から町同士で暴力沙汰となり、庄屋や年寄りがでても収まらず、ついに役人まで登場する事態になった。とも記されている。


 参考  「ふるさとシリーズ 浜松・浜名湖周辺」より